マルセル・セルダン


マルセル・セルダン

マルセル・セルダン(Marcel Cerdan 1916年7月22日生)
 [フランス・プロボクサー]


 旧フランス領アルジェリア出身。少年時代はサッカーに熱中していたが、父の勧めでボクシングを始めた(兄弟二人もボクサー)。13歳でアマチュアデビュー、1934年に18歳でプロデビュー。その後ウェルター、ミドル両級の欧州王者となる。 強靭なフィジカルとラフさと強打の攻撃的スタイルでKOの山を築き圧倒的な強さを誇示し続けた。メディアや強豪選手が彼の印象的な強さを噂にしたことから世界的に「無冠の帝王」視され、実力と人気ともに充分であった。しかし世界挑戦は遅れることになる。

 1948年9月21日に世界初挑戦、“鋼鉄の人”トニー・ゼールの世界ミドル級王座にアメリカ合衆国ニュージャージー州ジャージーシティーで挑んだ。ロッキー・グラジアノとの3度にわたる死闘で疲弊した感のあるゼールをスピードで上回り圧倒、11回左フックでダウンさせ12回開始時点でKO、タイトルをフランスに持ち帰った。大スターの世界奪取を待ち望んでいた祖国の国民はラジオの勝利を伝える報に歓喜した。

 1949年6月16日に“ブロンクスの牡牛”ジェイク・ラモッタとの初防衛戦がデトロイト(米国)で行われた。当代切っての名うてのファイター同士の一戦は大きな前評判を呼んだ。試合は予想に違わぬ大激戦になったが、セルダンは途中で肩を負傷し左腕を動かせなくなる。それでも戦い続けたが遂に棄権し10回TKOで王座を明け渡した。セルダンは雪辱を切望し、ラモッタも受け入れニューヨークでの再戦が決定する。その報らせを聞いたセルダンは狂喜、「勝つか、死ぬかだ」と言い残しパリから空路で決戦の地へ向かった。だが1949年10月27日、搭乗したエールフランスのロッキード コンステレーション L-749機が北大西洋アゾレス諸島付近で着陸に失敗し墜落、セルダンも不帰の客となった(ロッキード コンステレーション L-749機墜落事故)。通算戦績は123戦119勝(74KO)4敗。この事故では、天才ヴァイオリニストと呼ばれたジネット・ヌヴーも死去している。

 セルダンはラモッタとの再戦に向け当初は航路で行く予定だった。しかし、恋人だったシャンソンの女王エディット・ピアフがコンサートでニューヨークにおり、ピアフの「早く会いに来て」との言葉により空路で行くことを決めた。ピアフはニューヨーク・ラガーディア空港でセルダンを出迎える予定だった。墜落の報を受けたピアフは激しい悲しみと衝撃に襲われたが、予定の公演を行った。

 後年、遺児マルセル・セルダン・ジュニアも父の遺志を継ぎボクサーとなった。世界ランカーにまで登り詰めたが、世界獲りはならなかった。セルダン・ジュニアのプロデビュー戦のリングサイドにはセルダン未亡人とピアフが並んで観戦している姿が見られた。セルダン・ジュニアは映画『恋に生きた女ピアフ』で父マルセルSr.の役を演じた。セルダンとピアフのストーリーは何度も映画化や劇化されている。

 1991年に国際ボクシング名誉の殿堂(国際ボクシング名誉の殿堂博物館)入りをしている。パリ郊外ブレストには名を冠したドーム型施設のSalle Marcel-Cerdanがあり、スポーツを始めとする多目的施設として利用されている。

 1949年10月27日死去(享年33)


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ