マーサ・マンスフィールド


マーサ・マンスフィールド

マーサ・マンスフィールド(Martha Mansfield 本名:マーサ・エールリッヒ 1899年7月14日生)
 [アメリカ・女優]


 ニューヨーク市生まれ。14歳のときに女優になることを決意。1912年にブロードウェイの舞台でデビュー。1917年にエッサネイ・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー(エッサネイ・スタジオ)と契約し、短篇コメディ『マックスの渡米』でフランス人俳優マックス・ランデーと共演する。同年、エッサネイで、マックス・ランデーの相手役で『マックスの離婚』、『マックスの運転手』に出演。1918年にアメリカで著名な興行王フローレンツ・ジーグフェルド演出の『ジーグフェルド・フォーリーズ』と呼ばれるブロードウェイの舞台劇にも出演した。1920年、ジョン・バリモア主演の映画『狂へる悪魔』でカルー卿の娘ミリセントを演じて注目された。

 その後、セルズニック・ピクチャーズ社と契約、数本の映画に出演した後、1923年にフォックス・フィルムに移籍したが、同年11月29日、テキサス州サンアントニオで映画『自由の旗風』のロケをしていたマンスフィールドは、投げられたマッチによりセルロイド素材のひだがついたフープスカート(南北戦争の衣装)が燃え、ひどい火傷を負った。彼女の衣装が炎に包まれた時、マンスフィールドはアガサ・ウォーレンの役を演じており、自分のシーンをちょうど撮り終え車に戻ったところだった。 主演俳優のウィルフレッド・ライテルが自分の重いオーバーコートを彼女に羽織らせ、彼女の首と顔は無事であった。マンスフィールドの車のお抱え運転手は彼女の燃える衣装を脱がそうとして両手に重い火傷を負った。 炎は消されたがマンスフィールドは体にかなりの火傷を受けた。彼女は病院に救急搬送されたが「全四肢の火傷、全身の毒血症、乏尿症」により翌日死亡した。

 マンスフィールドの遺体は彼女の故郷であるニューヨークに運ばれ、ブロンクスのウッドローン墓地に埋葬された。誰がマンスフィールドの衣装に火を点けたマッチを投げたかについては決して究明されなかった。ある目撃者たちはマンスフィールドが座っていた車の窓からマッチが入れられたのを見たと言った。その他の仮説は、イライラを鎮めるために車の中で煙草を吸うことにした神経質なマンスフィールドが、誤ってマッチか煙草を落として衣装に火を点けた、というものである。 マンスフィールドの母、ハリエット・エンリッチはこの仮説を否定している。なお、マンスフィールドのシーンのほとんどは撮り終えていたため、『自由の旗風』の製作は続けられ翌1924年に完成、彼女の遺作となった。

 1923年11月30日死去(享年24)


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