スチュアート・ルイス=エヴァンズ


スチュアート・ルイス=エヴァンズ

スチュアート・ナイジェル・ルイス=エヴァンズ(Stuart Nigel Lewis-Evans 1930年4月20日生)
 [イギリス・レーシングドライバー]


 ルイス=エヴァンズは1951年から1956年にかけてクーパー500でF3に参戦し、多くの勝利と表彰台を獲得した。その後、青年実業家のバーニー・エクレストンと親しくなり、自身の個人マネージャーを任せることになる。エクレストンはF1から撤退したコンノートのマシンを競売で買取り、転売しようとしたが上手くいかず、チームオーナーとしてF1に参戦することにした。マシンを託されたルイス=エヴァンスは、1957年のモナコグランプリでF1デビューし、性能の劣るコンノート・タイプBで4位に入賞した。この結果を見たヴァンウォールのオーナー、トニー・ヴァンダーヴェルの目に留まり、ルイス=エヴァンズはヴァンウォールへ移籍した。1957年のヴァンウォールは速かったものの、少々信頼性に欠けていた。ルイス=エヴァンズのF1における初勝利はノンタイトル戦の1957年モロッコグランプリであった。また、同年最終戦のイタリアグランプリではポールポジションを獲得した。

 1958年のF1世界選手権はヴァンウォールにとって前年よりはるかに良く、序盤戦でそれは判明した。スターリング・モスとトニー・ブルックスはそれぞれ3勝を挙げ、ルイス=エヴァンズはベルギーとポルトガルで表彰台に上り、チームに貢献した。彼はまたオランダではポールポジションを獲得した。

 しかし、チームに愛されたルイス=エヴァンズに悲劇が起こる。シーズン最終戦のモロッコグランプリの41周目でクラッシュした。ほこりだらけのアイン・ディアブ・サーキットで彼のマシンはエンジンが故障し、高速でバリアに激突、車は炎上した。彼はイギリスに空路で搬送されたが、事故の6日後に重度の火傷のため病院で死去した。

 ルイス=エヴァンズの死は1958年のヴァンウォールのタイトルに暗い影を投げかけることとなった。ヴァンダーヴェルはルイス=エヴァンズの死から完全に回復することは無く、ヴァンウォールは1958年をもってモータースポーツから撤退することとなった。親友を失ったエクレストンはモータースポーツから離れたのち、ヨッヘン・リントのマネージャーとして復帰するが、リントも1970年イタリアグランプリ予選中に事故死した。

 1958年10月25日死去(享年28)


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