小林薫


小林薫

小林薫(こばやしかおる 1968年11月30日生)
 [殺人犯]


 大阪府生まれ。3人兄弟の長男として育ったが、幼少時から父親に暴力を振るわれていた。さらに、暴力を制止していた母親は10歳の時に難産のために亡くなった。この時の悲しさを「ぼくは、5時間以上もないた」と小学校の卒業文集に綴っている。この時に生まれた弟に障害が残ったため、家族は弟に付きっきりになり、小林は孤独な状況にあった。左目の視力が低いことなどから、中学時代には不良グループからいじめを受けていた。また、経済的に裕福ではなく小学校の頃から新聞配達のアルバイトで稼ぎ、中学卒業とともに就職した。

 小児性愛者であった小林は14歳のときに強制わいせつ事件を起こしている。1989年には大阪府箕面市内で女児8人にいたずらしたとして強制わいせつ容疑で送検。1991年7月には大阪市住吉区内で女児(5歳)に抱きつき首を絞めたとして殺人未遂容疑で逮捕、懲役3年の判決が下されている。その後、1996年頃より新聞販売店に勤務したが、長続きせず新聞販売店を転々としていた。大阪市東住吉区の販売店では、新聞購読料など23万円を持ち逃げしたり同僚としばしばトラブルを起こすなどしていた。

 2004年11月17日、奈良県奈良市の路上で帰宅途中の小学校1年生の女子児童(7歳)を、いたずら目的で「車で送ってあげる」などと言葉巧みに誘って知人から借りていた車の助手席に乗せて誘拐した。小林は誘拐現場から10kmほど離れた自宅アパートに女児を連れ込み、水道水を張った風呂場か洗面器に顔を押し付けて殺害した。殺害後、小林は女児の手足に擦り傷を意図的につけたり、歯を数本抜くなど残忍な手口で証拠隠滅を図った。また、女児の携帯電話を使って「娘はもらった」と母親にメールした(女児の遺体画像も添付)。その後、小林は女児の遺体を車に乗せて、誘拐現場から約6km離れた奈良県生駒郡平群町の宅地造成地の道路側溝に遺棄した。12月14日未明には両親や親族の携帯に、「次は妹を狙う」と女児の携帯電話から脅迫メールを送った(このメールにも女児の画像を数枚添付)。

 12月30日、奈良県警察本部の家宅捜索により、女児の携帯電話とランドセル、ジャンパーなどを発見され、小林は誘拐を認めたため逮捕された(その後2005年1月19日に殺人と死体遺棄容疑で再逮捕された)。小林の自宅からは幼児ポルノのビデオ80〜100本や雑誌、それに盗んだものと見られる女児の下着や衣類が約80枚、およびダッチワイフが押収された。逮捕のきっかけは、女児の携帯電話から小林の携帯電話にメール発信がされていたことで、その通信記録から小林が割り出された。また、小林は行きつけのスナックで女児の画像を店員や客に見せていた。

 女児が小林の車に自分から乗るところを目撃されており、顔見知りによる犯行も取り沙汰されたが、小林は「女児とは面識がなく女の子なら誰でも良かった」と自供し、実際には行きずりの犯行であった。小林の過去の幼児への強制わいせつの前科が取り沙汰され、性犯罪者を登録、監視する米国のミーガン法(性犯罪者の情報をインターネットで公開している)などにならった前歴者への監視を強めることの必要が議論された。また、一部でフィギュアおたくではないかとデマが流れたが、彼はフィギュアを全く保有しておらず、アダルト系同人誌も保有していなかった。

 2005年4月18日に初公判が開かれ、「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第二の宮崎勤宅間守として世間に名を残したい」という小林の述べた供述を検察官は朗読した。2006年6月26日の最終弁論で弁護側は、小林が育った家庭環境の事情を考慮してほしいと述べた。同年9月26日、小林に求刑通り死刑判決を言い渡された。なお、死刑は永山則夫の事件以降、犠牲者一人では適用されない事が通例であったが、事件自体の悪質性や被害者家族の心情を反映しての判決となった。判決では小林はガッツポーズも見せ、判決後に弁護人に対し「死刑は覚悟していた」と述べた。弁護側は控訴したが、10月10日に小林自らが控訴を取り下げ死刑が確定した。10月30日、遺族に弁護人を通じ、自分の行為は「人として最低な行為」であったが、「公判中に謝罪の気持ちを表したくてもできなかった」と書かれた文章を手渡そうとしたが、公判の様子からして本心からの謝罪だとは思われずに遺族に拒否された。

 女児の死因について検察側は、小林が女児を自宅に連れ込んだものの、犯行発覚を恐れて、女児が入浴中に頭を押え込んで湯船に沈めて殺害したとした。小林は逮捕後も検察の主張を否定しなかったが、それは「もう死刑で早く死んでしまおう」という意向によるものだったと後に雑誌に手記を寄せている。小林によると真実は、「悪戯をするために女児に睡眠剤を大量に飲ませたのちに入浴させたところ、気が付いたら湯船の中で死んでいた」というものであった。弁護人や精神鑑定をする鑑定医にも同様の話をしたが、当時は罪を認めた上での情状酌量を得るために情状鑑定の最中で、全てが振り出しに戻る仰天の新証言は誰もマトモに取り上げてくれなかったとしている。法廷でそのことに言及しなかったのは、「判決で認定された殺人を自分は犯していないのだが、もう死にたいから法廷では一切争わないことにする」という理由によるものであった。

 2013年2月21日、大阪拘置所で死刑が執行された。2度目の再審請求に向け準備中の執行だった。小林は死刑を望んでいた一方で、生への執着を垣間見せており、事件当日を「人生始まって最大の後悔の日」と語ったり、「死刑執行は2日前に告知してほしい」と主張していた。また、薬物投与による刑執行を望み、絞首刑に対する恐怖心をのぞかせていたという。

 2013年2月21日死去(享年44)


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